キャプテン石毛
西武ライオンズは、1978年、九州のクラウンライターライオンズを買収して1979年にできたばかりの若い球団である。
花形選手といえば、移籍で獲得した田淵、野村などのベテラン選手。
球団は将来のライオンズを背負って立つ生え抜きのスター選手を求めていた。
1981年、ドラフト1位で西武ライオンズに入団した石毛は、1年目からその才能を開花させ、
その年、新人王(記録参照)。
待ちに待ったスターの台頭である。
駒沢大学出身。
同じ大学には中畑清(元G)、広瀬哲郎(元Fs)などの出身選手などもいると言えば、自ずと校風も知れよう。
彼のプレイは早くから、他の選手を刺激した。
確実なショートの守備と、嘘偽りのない人柄。
入団前に野村や、84年に田淵などが相次いで引退したこともあり、石毛は若いライオンズの精神的支柱となっていった。
突出した統率力と、天性の明るさを兼ね備えた石毛は、まさしくキャプテンと呼ぶに相応しかった。
89年ライオンズは、バファローズ、ブレーブスとの激しい三つ巴戦の末、優勝を逃す。
その時、またもや、チームをまとめたのは石毛である。
「俺たちは優勝チームなんだ」「一人一人が自分の仕事をすれば絶対勝てる」
翌90年、ライオンズは9月23日、ぶっちぎりの優勝を決める。
そして、日本シリーズでは、藤田巨人を相手に、伝説の「4連戦4連勝」を再現するのである。
シリーズ後、巨人・岡崎は「野球感が変わった」とコメントしている。
それは、取りも直さず、巨人選手や、巨人に代表される「セ」の野球しか知らなかった大多数の日本の野球ファンの声でもあった。
94年オフ、森祗晶監督の退任と共に、球団から現役引退→監督就任を要請された石毛は、FA宣言し、福岡ダイエーホークスへ。
長い間、チームの精神的支柱として西武を支えてきた男は、現役にこだわり、西武ライオンズのユニフォームを脱いだ。
そして、この年以降、伊東が就任するまで、ライオンズには主将が存在しない期間が続く。
それは、ライオンズがペナントを奪えない時期と合致する。
西武ライオンズ※第1期黄金時代の終幕である。
※注:1982年〜1994年まで(84年の阪急・89年の近鉄の優勝を挟みます)
