清原は2回、公衆の面前で泣いたことがある。

今でいうと、ジョニー黒木や上原の涙が有名だが、当時は泣く選手など殆どいなかった。

だから、10年の内、ただ2回泣いただけでも「よく泣く男」といった印象を持たれ、そのシーンは未だに取り上げられる。



1度目は、入団発表の記者会見の時。

 1年生の時からPL学園高校のレギュラーで、甲子園に春夏5回出場。

4番ファースト、背番号3。
桑田と共に「KKコンビ」ともてはやされた。

多数の球団からドラフト1位のオファーが来ても、清原は決めていた。

「絶対巨人に行ったんねん」

小さい時から巨人は憧れの球団。当時監督だった王さんは、憧れの人。その王監督の元で野球をしたんねん。

当然巨人からも接触はあった。ドラフト前日には、清原に確約の電話が入っていた。「君をドラフト1位で指名するよ」

親友であり最大のライバルである桑田は早々に、早稲田進学を宣言している。
清原の頭の中には、「YG」の帽子をかぶり、巨人の白いユニフォームを着た自分。

そしてドラフト当日。



巨人は桑田を指名した。



清原の第一回交渉球団は西武ライオンズ。
大阪出身の清原からしてみれば、パ・リーグの、どこにあるのかさえわからない球団である。

だがもう、清原にしてみればどうでもよかった。
どこの球団でも。

「強くなって、巨人を見返したんねん。王さんを、桑田を見返したんねん。」

清原は記者会見の間中涙を流しつづけた。


2回目は、1987年日本シリーズ。相手は、シーズン中、西武より下馬評では上だった読売ジャイアンツ。

3勝2敗で迎えた6戦目。

2回裏、1死2塁からブコビッチがセンターへ打ち上げた大飛球をとったクロマティ。
トロトロした返球動作をする。
タッチアップした清原は、三塁コーチャーの伊原コーチの手がぐるぐると回るのをみて、一直線に3塁ベースを蹴る。

そしてそのまま、焦る巨人内野手を尻目にホームへと猛然と突っ込む。セーフ。

「今日、勝ったんねん。絶対巨人に勝ったんねん。」

迎えた9回表。

二死走者なし。

ファーストを守る清原。しきりに目のあたりに手をやっている。

辻が近くに寄り、肩に手を置く。

もう、清原は泣いていることを隠そうとしない。



「巨人に勝った」



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