職人芸
「一番・ショート」
このポジションで石毛を覚えている人もいるだろう。
衝撃的なデビュー。
はじめの頃の石毛は韋駄天。
足の早さと俊敏さで、典型的な一番バッターだった。
それにパワフルなバット。
1年目新人のシーズンで21本塁打。
打率3割1分1厘。
そして、遊撃手としての本塁打は’85年、守備別シーズン記録を作っている。(27本)
塁に出れば足も速く、’81年〜’84年まで盗塁数20個後半(57年のみ22個)。記録のページ参照。
’86年の23試合連続ヒットは、それまでの球団記録である。
また石毛のバットは勝負強いことでも知られている。
’81年、’84年、’86年、’88年には満塁本塁打を記録している。
そして、最も石毛らしいといえる特徴が、守備である。
その堅実な守備は、どんなボールでも逃さない。
ゴールデン(ダイヤモンド)グラブ賞13年間で10回受賞。
始めは、一番運動量が多いと言われる遊撃手というポジションで。
転機が訪れたのは、86年のコンバート。
韋駄天を誇った石毛も、85年の日本シリーズ中に靭帯を痛め遊撃手というポジションが負担になってきた。
その前年監督に就任した森祗晶監督は、サード秋山の、外野へのコンバートを考えていたこともあり、サードというポジションが一つ空く。
また、その年、20歳の若い田辺徳雄が入団してきた。
後進を育てる意味でもあってのサードへのコンバートである。
しかし、それは彼には彼の目にはどのように映ったのか。
ショートというポジションに誇りを持っていた彼には。
悩んだこともあっただろう。
眠れぬ夜もあっただろう。
だが彼は、いつも自分でそれを克服してきた。
彼が、後年、自主トレに陶芸を取り入れたことは有名である。
また、寺で座禅を組んだこともあった。
野球とは、心でするスポーツ。
心・技・体のうち、後の2つが衰えてきたら、”心”を鍛えること。
それが、石毛流トレーニング。
彼は常に、常勝ライオンズの心の支えとなってきた。
彼がいなければ、あのプロ集団も成り立たなかったのである。