盗塁
秋山がそれまでの、「打つだけ」の大砲とどこが違ったかというと、「足」である。
「走れる主砲」の存在は、相手チームに無言のプレッシャーを与え、続く清原、デストラーデの打率をのばした。
だが、「3割・30本・30盗塁」を達成した年は、ライオンズがペナントを奪われた年でもあった。
常勝ライオンズは、ペナントを制さないと年棒は上がらない。
その年、清原は年棒を1億の大台に乗せ、秋山は逃した。清原の年棒の伸び分は、「球団の顔」料だ。
そして、彼は盗塁を捨てた。
「3割30本30盗塁でも年棒はあがらない」「盗塁はしても意味がない」
そんな思いが彼を苦しめた。
当時、メジャーに一番近いと言われた男はそうしてまた一つ、日本野球の中に埋没していった。